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カテゴリー:"HUMAN" - ii nami.com HUMAN

宮崎から発信する桐で作るストリンガー Vol.32015年4月3日  10:54 AM

Caption&Photo By iinami_k4

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宮崎から発信する桐で作るストリンガー Vol.2からの続き
http://www.ii-nami.com/human/archives/183

2014年
桐ストリンガーにこだわってテストボード製造と試乗の日々を約1年間繰り返しテストでわかった事(一般ストリンガーとの違い)。
桐ストリンガーと他のストリンガーの違いは?
・しなりが保たれる。(高反発)
・スピード感があきらかに一般ストリンガーと違う。
・耐久性が増した。

いよいよ納得のいくストリンガーが出来上がったのだが、どのようにして伝えたらいいのか、この桐ストリンガーの良さを少しでも伝えたいという熱い思いで山元さんは、毎年2月に開催される横乗りスポーツの最大展示会『インタースタイル』に向かった

このデータを元にフォーム会社を回った!!

ここで運命的な出会いがあり、ここからさらに1年の試行錯誤を繰り返し2015年のインタースタイルでは

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COREフォームのストリンガー&キリフレックスのコラボが誕生した!!

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サーフボードの機能性を考案するのは、シェィパーです。しかし、そのシェィパーもおそらくBlanksには、さまざまな要求する点が多々あると思います。
自分もその内の一人でした。人間で表すと背骨、サーフボードの背骨であるストリンガーでこんなにもサーフィンが楽しくなるなら、もっと多くサーファーに桐のストリンガーを使用したボードでサーフィンを楽しんで貰えたらと思い、桐ストリンガー Kiriflex の商品開発を行いました。

今後みなさんもボードをオーダーする時にサイズとか形達だけではなくブランクスやストリンガーも指定出来るようになればと思っております。

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今後サーフボードをオーダーする時に、サイズや幅・厚みだけではなくブランクスやストリンガーも指定してオーダー出来るようになるかもしれませんね!!

是非乗ってみたいです。

kiriFlex公式FBページ→https://www.facebook.com/pages/Kiriflex/771044042987760?ref=ts&fref=ts

Arigato

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宮崎から発信する桐で作るストリンガー Vol.22015年3月20日  10:26 AM

Caption&Photo By iinami_k4

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宮崎から発信する桐で作るストリンガー Vol.1からの続き
http://www.ii-nami.com/human/archives/177

おじいちゃんの一言から桐を使いストリンガーを作ろうと考えた山元さんの試行錯誤は続いた

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桐で作るストリンガーの製造工程とは・・・
南九州一帯の木材市場で競争入札し落札した桐丸太を、製材所で約3か月間丸太のまま自 然乾燥させるところから始まる

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次に柱型に製材をして、約2か月の自然乾燥を行います。

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次に柱型から板状へのスライス製材をし、さらに2か月程、風通りの良い日陰で自然乾燥 を行い、Kiri ストリンガーのベース板の完成となる

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1本の丸太を7ヶ月以上かけて形にして行く・・・

試行錯誤を繰り返し納得の製品になるのに制作を始めてから2年の月日を費やした。

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そして特許も取得し、このストリンガーの良さをどのように伝えて行ったのか・・・

続く・・・

kiriFlex公式FBページ→https://www.facebook.com/pages/Kiriflex/771044042987760?ref=ts&fref=ts

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宮崎から発信する桐で作るストリンガー Vol.12015年3月5日  10:42 AM

Caption&Photo By iinami_k4

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『ストリンガーが変わればサーフィンも変わる!!』

桐でストリンガーを作成して宮崎から発信している山元さん

なぜストリンガーを作成しようと思ったのか?

その前にストリンガーとは・・・
ストリンガーとは、ノーズからテールにかけ、サーフボードの中心部に入っている木材や薄い補強材のこと。
多くのサーフボードの真ん中に位置し、サーフボードが折れるのを防いでくれます。
サーフボードのフォルムは、ストリンガーを軸として、左右張り合わせるようにして作る場合が多い。

現在のストリンガーに使われている材料はバルサ、レッドウッド、シダーウッド、バスウッドなどがある。

山元さんは1992年の夏に叔父に青島ビーチに連れて行ってもらい、そこでサーフィンを初めて楽しんだ。その後、運転免許を取得してからは、時間があれば海に通うようになりサーフィンにドップリはまっていった。

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そして、サーフボード作りにも興味を持ちを2008年11月から始めた。
「最初は右も左も分からずとにかく情報収集してそれを実行して失敗しての繰り返しでした。 初めて2年位から、なんとか全行程を自分で出来るようになり、それが楽しくてしかたない日々を送ってきて、いつの間にかもっと楽しめるボードを作りたいに変わり、今に至っている。」

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シェイプに慣れてきたころに、あるBlanksが手元に来たのがきっかけとなってストリンガーにも興味を持った。
「そのBlanksのストリンガーがねじれている為、デッキでの計測とボトムでの計測であきらかに違いが分かってしまいどうすればいいか悩みました。」

もともと測量の仕事もしていた経験もあったのでそのねじれが見えてねじれが気になり、ついにはあるBlanksのストリンガーを作って入れ替えてみようと思ったのが4年前だった。

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家業が広葉樹を主に取り扱う製材所でさまざまな木材は日頃からよく目にしていたがどの木材を使えばいいのか悩んだ。
「その中で、一番軽い木材で吸水率も低くしかも耐久性も有り、しなる木ってないかと、先代の社長であり祖父の(故・緒方英男)に聞いたところ、一声で“桐がある”でした。 それから、桐の木でストリンガーを作ろうと思いました。」

そこから桐でストリンガーを作ろうと試行錯誤の日々が続いていった・・・

Vol2に続く

kiriFlex公式FBページ→https://www.facebook.com/pages/Kiriflex/771044042987760?ref=ts&fref=ts

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仕事とサーフィンが両立できる幸せ2013年7月22日  6:01 PM

宮崎市・矢野崇幸さん
建築士

 

「仕事とサーフィンを両立しながら幸せな生活を送れる。宮崎に生まれ育ち、そして暮らすことができてほんとにラッキー」

宮崎の人たちが快適に暮らせる家をつくろうと、住宅の設計、デザイン、施工を手がける建築会社を1991年に創業、97年に社名を現在の「建図(けんと)宮崎」とした。仕事には細部までこだわり、決して妥協はしない。「今を一生懸命に生きている」という自負があり、その生活にもちろんサーフィンは欠かせない。

 

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仕事とサーフィンをともに大切にするライフスタイルは、アメリカで過ごした経験が大きい。1964年、宮崎市生まれ。中学生のころからアメリカの映画、ジャズ、アンティーク雑貨などが大好きで、海の向こうにある自由の国にあこがれを抱き続けた。大人になっていく過程では、窮屈な日本から飛び出したいという思いは変わらなかった。

東京で働いていた20代の初め、渡米を決意。絶対的な個人主義社会に飛び込んで、自己確立することの大切さを学んだ。サンディエゴに腰を落ち着け、住宅リフォーム会社で2年間働いた。「自分の家を建てると資産家に仲間入りする。建築費用の頭金20%でローンを組むことができれば、それはサクセスストーリーといわれた」。そんなアメリカンドリームに大きな衝撃を受けた。

渡米前からのめりこんでいたサーフィンも続け、休日には海へ。カリフォルニアで出会ったサーファーは皆社会的な責任感を持ち、しっかり仕事をこなしながらサーフィンも楽しむ暮らしをしていた。そこで「サーフィン」「仕事」「家族」の相関関係こそ、自分が求める人生の完全な形であることを知った。アメリカに来て、ようやく人生の答えを見つけた気がした。

 

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25歳で帰国。迷わず宮崎に戻った。「素晴らしい海と波が近くにあったから」だ。アメリカでの経験を生かし、興味を持っていた建築会社に就職。猛勉強の末、建築士の資格も取った。

自ら家を設計するようになって疑問を抱いたのは、家に対するアメリカとの価値観の違い。日本の家づくりは減価償却のシステムで成り立っていることだった。耐用年数に応じて家の価格を決めるという、企業の利益を優先する家づくりをどうしても受け入れることができなかった。

「それなら低コストで長持ちする家を自分でつくればいい」。そう誓って独立。丈夫で機能的で、古くならないデザインの家を追求し続けている。

 

仕事が忙しくても、休日の朝は必ず海へ車を走らせる。「仕事を離れ、ただ楽しみたいだけ。サーフィンをやっていなかったら、今ごろは宮崎にいなかったかもしれない。好きな仕事、好きなサーフィンがやれる環境は最高」。宮崎の素晴らしさを実感する毎日だ。

家を設計する際は、そんな宮崎の気候風土を十分に考慮する。加えて土地の周辺にある山、川、隣家との距離、風向き、太陽が入ってくる角度などまで緻密に計算する。そうやって出来上がった家は太陽光を取り込んで「暑」を避け、「暖」を逃がさない。つまり「夏は暑くなく、冬は寒くない家」。冷暖房費を極力抑えられるエコハウスだ。太陽光をシャットアウトする屋根を開発し、特許も取得した。「皆さんに喜んでもらえる家をつくり続けたい。それで宮崎に貢献できればうれしい」

 

写真 (59)

 

「宮崎は陸の孤島と言われるけど、何のハンディもない。仕事をして家庭を持ってサーフィンもできる。こんな素晴らしい土地は全国でも数少ない」。ただ宮崎でサーフィンを続けられる「ラッキー」は、多くの努力と犠牲を重ねて得られる結果だと信じる。

仕事とプライベートをきっちり分け、それが互いに補完するライフスタイル。メリハリのある生活は人生を豊かにしてくれる。宮崎で暮らすサーファーは、その恩恵を十分に受けている。(Y)

 

矢野さんの会社「(株) 建図宮崎(ケントミヤザキ)」のホームページ
http://www.kentmiyazaki.com/
矢野さんのfacebookページ
https://www.facebook.com/kentmiyazaki
https://www.facebook.com/takayuki.yano.351

 

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楽しみながらサーファーズイヤーを研究2013年3月14日  4:14 PM

宮崎市・中西悠(はるか)さん
耳鼻咽喉科医

こだわりを持って人生を楽しんでいるように見える。かといって決して前のめりではなく、グライドするように自分のペースを守って。サーフィンが本当に好きなのだろう。
宮崎大学医学部附属病院に勤務する耳鼻咽喉科の医師。サーファーに多く見られる耳の疾患「サーファーズイヤー」の研究や治療に取り組む。長期間冷たい水に刺激されて外耳道の骨が隆起し、やがて外耳道が狭くなる。炎症を起こして痛みを伴うこともあるサーファー特有の病気だ。

2007年からコンテスト会場などで、これまでにおよそ850人を診察。研究結果を論文にまとめ、国内外の学会で発表した。地道な努力と治療技術の確かさが知られるようになり、症状に悩むサーファーが手術を受けるために宮崎を訪ねてくるケースも少なくない。
これまで専門の研究者の少ないサーファーズイヤーは、その成因や予防法などよくわかっていないこともあり、手術方法も各施設で統一されていないのが現状という。

写真 (42)

1976年、和歌山県に生まれた。特にスポーツ好きの少年ではなかったが、水泳だけは得意だったという。小学生の頃からなぜかスケートボードに興味を持ち、デッキが真ん中で折れて捨てられていたスケートボードを拾ってきて、自作のデッキにトラックを付け替えて嬉々として乗った。「横乗りでグライドする感覚が好きなのは、あの頃の原体験があるからかも」と笑う。
高校卒業後、医師を目指して宮崎医科大学(当時)へ入学。ウインドサーフィンのサークルに入った。2年生のとき、ウインドサーフィンで波に乗るトレーニングのために始めたロングボードがサーフィンとの運命的な出合いになる。「地球のエネルギーそのものに乗っているような感覚のとりこになった」という。
実は大学入学後、受験勉強から解放されたうれしさもあって、好きながら封印していた音楽にのめり込み、学校から足が遠のくこともあった。「先の長い学生生活に目標を見失っていたとき、サーフィンに出合った。パドルのきつさの向こうにある喜びとか、恐怖感を超えていく感じなど、海から教えられることが多かった。サーフィンに更正させられたと言っていい」
それから授業の合間、朝夕海に通った。サーフィンのコンテストにも出場するようになり、懸命に練習した。いつしかサーフィンが生活の中心になっていった。

Surfer's Medical Association2012-3

卒業後の進路は、耳の手術に関して高い技術で知られる宮崎大学の耳鼻咽喉科を選択。「音楽が好きなので、音にかかわる分野に進もうと決めた」のだという。ライフスタイルに欠かせなくなったサーフィンを続けられる環境も、その決断を後押ししたはずだ。
本格的にサーファーズイヤーの研究を始めたのは2007年。専門の研究者というだけでなく、自身がサーファーであるために患者の立場で診察、治療ができる。
「サーファーズイヤーで手術することになる方は、ほぼ例外なく熱心なサーファーばかり。ひとつひとつの出会いが楽しい。難しい症例もあるが、ご縁があったサーファーに手術を任せていただけることには特別な思いがある。サーフィンの盛んな宮崎で、サーファーズイヤーの治療法を改善して、ここから発信したい」。穏やかな口調とは裏腹に並々ならぬ決意が伝わる。

Surfer's Medical Association2011-1

海へ行くのは休日。夏場は平日でも仕事が早く終われば車を走らせる。「10分でも海に入ることができれば幸せ」という。車にはショート、ロング、スタンドアップパドルボードの3本を常に積んでいる。
色白で一見サーファーには見えない。海へは夕方に行くことが多いからだという。「もちろん、風の影響のない朝のサーフィンも好きだけど、つい夢中になってしまうので平日の朝はなるべく控えるようにしている。目が疲れたり、集中力を欠いたりして、診察や手術に支障が出ると困るので」

写真 (41)

誰もがサーファーである前に職業人である。サーフィンを心から楽しむためには、ライフスタイルを確立することが大切なのだ。(Y)

研究の詳細
宮崎大学 耳鼻咽喉・頭頸部外科
サーファーズイヤー解説サイト
はこちらより

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宮崎をサーフタウンにしよう2013年1月31日  2:45 PM

宮崎市・中村義浩さん
NPO法人宮崎県サーフィン連盟理事長

「センジャク」。宮崎のサーファーの間では親しみを込めてこう呼ばれる。顔や本名は知らなくても、ニックネームなら聞いたことがある人は多いはずだ。

2005年から宮崎県サーフィン連盟理事長を務め、サーフィンがスポーツとして社会的に認められるよう力を尽くしてきた。少しずつだが、成果は確実に表れている。関係機関に幾度も足を運び、熱心に働き掛けること3年。連盟は2012年、念願だった宮崎県体育協会への加盟が認められた。2013年の県民体育大会から、サーフィンは競技種目に採用されることになったのだ。

「競技団体である連盟の最大の目標は世界チャンピオンを宮崎から出すことであり、ようやくスタートラインに立ったという感じ。目標を実現するためにも、宮崎をサーフタウンとして環境を整えたい。それが自分の一番の夢。サーフィンは貴重な地域資源だから、サーフタウンとなればいろんな可能性も広がる」。淡々と話すが、ハートの熱さが透けて見えるようだ。

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1963年に日南市油津で生まれた。小学生のころからの野球少年は、甲子園に出場したこともある強豪・日南高校に進学。厳しい練習に耐えながら甲子園を目指したが、夢がかなうことはなかった。
目標を失って抜け殻のようになっていた3年生の夏休み、いとこから誘われ、恋ケ浦で初めてサーフィンを体験。「どこが面白いのか全く理解できなかった」というのが当時の感想だ。

波乗りにハマったのは宮崎県庁マンになってから。横に滑れるようになったのをきっかけにサーフィンは生活の一部となる。歌舞伎役者・中村扇雀と同じ名字ということで「センジャク」と呼ばれ始めたのもこのころだ。どっぷり漬かったおかげで実力も備わった。全日本選手権は2004年から2011年まで連続出場、3位に入ったこともある。2012年にはニカラグアであった世界マスターズ選手権に日本代表として出場した。

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海に入る体を維持するため、仕事後はできる限り10キロのランニングと筋トレに励む。夏場には出勤前の朝、退庁後の夕方にサーフィンすることも度々だ。休日は必ず海にいる。「純粋に波乗りが楽しい。いろんな人たちと出会えるのもうれしい」とサーフィンの魅力を語る。

意外な顔も持っている。趣味は読書。自己啓発書やビジネス書を携帯し、時間があれば読みふける。「人生のセオリーが身につき、人間という幹に枝がどんどん増えていく。仕事やプライベートで決断を迫られたとき、広がった選択肢の中から選ぶことができる」。連盟理事長という重責を長く担えるのも、しっかりした基礎があるからだ。

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夢である「サーフタウン」実現に向け、いま取り組んでいるのが裾野の拡大だ。学校の部活動としてサーフィンを採用してもらえるよう要請を続けている。既に3校では認められ、ほかに感触のいい学校もあるという。

「ぜひ学校対抗戦をやりたい。そうすれば一般の人がサーフィンを見る目は必ず変わる。それがサーフタウン実現に近づく。そして宮崎がサーフタウンと認められれば、自然と経済活動が活発になる。多業種がサーフィンを中心に動き、宮崎の活性化に役立つはず」と力説する。イメージが難しいが、暮らしている町がサーフィン抜きには語れないというのがサーフタウンという位置付けか。
理事長としてサーファーへ呼び掛ける。「ルールを守って宮崎のサーフスポットを大切にしよう。みんなで楽しく謙虚にサーフィンをやろう。県外サーファーももちろんウェルカム」

「今までになかったサーフタウンをつくりたい」。宮崎の可能性を信じて挑戦中だ。(Y)

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