2014.03.28
宮崎のサーフィンの歴史を語るうえでどうしても外せないのは日向市美々津在住の三股信夫さんです。宮崎の若いサーファーも「三股先生」と言えば名前は知っていると思いますが、三股さんが宮崎県のサーフィンの歴史、競技としてのサーフィンにどれだけ貢献があったかを数回に分けてお話します。
今ではプレミア物の「ILLUSTRATED ENCYCLOPEDIA OF SURFING」にアマチュアとしては異例の取り上げ方をされ、本文では「70年代に西日本から出た最高のアマチュア・サーファー」と紹介されている。
三股信夫さん(通称ノブさん)は昭和1956年(昭和31年)5人兄弟の末っ子として宮崎県日向市美々津で生まれました。三股家は地元でも有名なお医者さんで、上のお兄さんも皆さんドクターでいらっしゃいます。
1970年信夫さんが中学3年生の夏休み、お兄さんの影響で初めてサーフボードを購入してサーフィンを始めました。当時サーフボードは大変高価で日向市内を家族で探し回って要約展示品を無理にお願いして購入したそうです。その少年に大きな影響を与えたのが鈴木三平さん(第2回シニア優勝、第5回シニアA優勝、第8、9回シニアB優勝)という湘南から当時金ケ浜に移り住みサーフボードを削っていた凄い人だったわけです。鈴木三平さんについては今後詳しくご紹介させていただくとして、鈴木さんのスタイリッシュなライディングに感化されたノブ少年は、その後めきめきと腕を上げ高校2年生の夏に初めて全日本サーフィン選手権に出場、その後3度目の夏、第10回大会で宮崎県民(いや西日本)として初めてジュニア部門のチャンピオンに輝きました。歴代の全日本の入賞者は、ほとんど神奈川(湘南)、千葉のサーファーばかりでいきなり九州のサーファーが優勝し話題騒然となったそうです。当時の雑誌ポパイの記事にあの石井秀明さん(当時サーフィンワールド編集長)が、「宮崎の三股信夫が1975年にジュニアに優勝し、つづく76年にメンでも優勝したとき、既に“サーフィン湘南”の時代にひとつのピリオドが打たれていたのかもしれない。それはとりもなおさず、サーフィンの地方への普及を意味している。」と言わしめた画期的な出来事だったわけです。
左から2番目が信夫さん、右から2番目はお兄さんの政夫さん(シニアA 3位)
1976年メン優勝の日(9月5日 千葉県部原)その時歴史は変わった。
三股さんに伺った当時の宮崎についての話は次回のお楽しみ