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宮崎サーフィン伝来記(仮)について

2014.05.16


現在、この夏の上映会に向けて鋭意準備中ですが、まだ道のりは遠い状況です。
宮崎のサーフィンの歴史をたどるこの企画において、重要なカギを握る人物がこのビデオに写っている方だと思われます。彼の名は「鈴木三平」さん。
三平さん
以前三股さんのご紹介をした際にも少しだけご紹介しましたが、彼の存在が宮崎のサーフィン界に多大なる影響を与えたことは間違いないと思います。

当時、唐津からサーフィンが伝わったばかりのころは、高価だったサーフボードを所有できるサーファーは一握りの裕福なサーファーだけだったことは容易に想像できます。皆中古のボードを手に入れて乗っていたようですが、どれも状態は良くなく、いわゆるボコボコ(水を吸って変色した)の板だったようです。
鈴木三平さんが日向市の金ケ浜にボードファクトリー(ウェストサーフボード)を建てたのが1969年ごろで、国産のサーフボード創りのはしりだったと思われその値段は、少なくともアメリカ(ハワイ)から輸入されたそれより数段安かったと思います。ボードを安価で供給しつつ、海の中では「スポーツ(競技)サーフィン」を自ら見せてくれ、(当時全日本のシニアクラスで4回優勝の実績からもわかるように)正に彼のライディングは地元のサーファーにとってお手本だったに違いありません。三股さんも師と仰いでいたぐらいですので言うまでもありません。
宮崎にとってはサーフィン界の宣教師フランシスコザビエルだったのです。
良い環境(波がコンスタントに1年中あり、良質のポイント「耳川河口P」「金ケ浜」がある)と良い板とお手本(刺激になる)になるライダーがいたことが宮崎県日向市を中心にサーフィンが広がったのだと私が勝手に結論付ける理由です。なので鈴木三平さんの存在は大きな意味を持つのだと思います。
いい波ドットコムでは、鈴木三平さんの消息調査を行い、今年で72歳になられ、千葉県成田市にてご健在であることを突き止め、現在、宮崎にご招待し、思い出の地を訪ねていただき当時のお話を伺えるようにご本人と交渉中です。何とか実現させたいと思っています。
その後の経過はまたご報告します。
※上記映像は鈴木三平さんと思われる方のライディングになります。(現在確認中)
この貴重な映像は以前ご紹介した門川町の那須さん所有の映像の一部です。

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